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パンの耳を残す
 

 朝食で子供がパンの耳を残した。

 なぜだと聞くと「堅いもん」と言う。

 うちで食べているパンは、いわゆる山型食パン。上部が丸く膨れあがっているアレである。女房が焼いたパンであり、手前味噌ながら、なかなかうまいと思う。でも子供は耳を残す。

 小麦粉をこね、成形してオーブンで焼いたパンも、時間がたてば当然、冷める。焼きたては殊の外うまいが、やがては冷め、翌日になると、まあ安定するというか、まあまあの味になってしまう。だから改めてトースターなどで焼くことになる。スーパーで買ってくるパンでも同じことだ。焼き直したパンは、さらに耳が堅くなる。

 そういえば私も、子供のころは耳を残していたような気がする。しかし給食でパンを食べるようになってからは、教師が「残さず食べましょう」などと言うんで、仕方なく食べていたと記憶している。また残したパンは家に持って帰らねばならず、返してもらったテスト用紙なんかに包んで持ち帰ったことも何度かあった。だがランドセルに突っ込まれたパンは、いつしか存在を忘れられるわけで、気が付くのは異臭が出てきたときだった。私が子供のころのランドセルは、まだほとんどが革製品だったので、パンの発酵やら(そのほかにもきっと、いろいろな何かが入っていたのだろうが)と革が反応してか、異様な臭気を放っていた。

 ランドセルの蓋を開けただけでは分からないのだ。メーンの広いスペースには教科書やらノートやらを入れるのでパンは入っていない。サブスペースのような、ノートなら数冊入る程度の場所に突っ込むわけで、さらに私のそれには蓋が付いていた。突っ込まれたパンは蓋に守られながら、じっくり熟成していくのである。

 ある日、何の気なしにサブスペースの蓋を開けると、むーんと異臭がした。これはまずいと思い、中身を引っ張り出すと、赤やら青やらの色の付いたパンが、テスト用紙と一緒に出てきた。カビが生え、すでに腐敗が進んでいるのだ。

「うーん、これは死後1カ月といったところでしょうか」

 そんな鑑定をする余裕もなかったが、確かにそれは、放置されたことを形と色と臭いで主張した塊だった。

 以後、ランドセルの蓋付きサブスペースは、禁断の場所となった。もう何も入れることはできない。入れたら最後、あの臭いが移ってしまう。そんな気がして、小学校を卒業するまで「開かずの部屋」となったのだった。

 私がパンの耳を残さなくなったのは、こうした「ドラマ」があったからだと、今、思った。そうだ、きっとそうなのだ。教師の言うことを真面目に聞いて、残さず食べる……というよりも、やはり人間、自分にとって嫌なことがないと、その性情は変わらないということだ。

 でもこれって、もしかして「トラウマ」とも呼ぶんだろうか……?

copyright : Masaru Inagaki(20070510)

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