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ミニストーリー
マイタウン安城 (7)
私の中に安城がない
稲垣 優

 東西南北と市内を車で走ったかいがあって、おぼろげながら安城という街が分かったような気がてきした。そろそろ私も一人前の安城人と言ってもいいかもしれない。

 土曜日の夜、息子が算数の宿題を私の前に出した。「ここが分からない」と、あるページを指さす。それは分数の足し算だった。私は鉛筆を持った。答えはすぐに出たが、息子は納得しなかった。

「計算の仕方は、習ったから分かってるよ。僕が分からないのは、どうしてこういう方法でやるかなんだ」

 どうやら計算の意味が理解できないらしい。どうして分母をそろえて計算するのかが分からないという。私は、うなってしまった。そして教科書と首っ引きで、分数の意味を一から説明し始めた。

 翌日、遊びから帰った息子が妙なことを言った。

「安城の人っておもしろいんだね」

 聞けば、友達のお母さんに近所の落語マニアじいさんの話を聞いたとか。そのとき私は妙なことに気付いた。安城のことをかなり分かったつもりだった私だが、実は自分の中に安城が全くないのだ。

 息子の宿題と同じだと思った。市役所、三河安城駅とどこかへ行くことはできるが、安城がどんな街なのかは知らない。人の様子とか街の雰囲気とか、とにかく何も知らないのだ。それを知るには長年住む必要があるのかもしれない。しかし短期間でも体で感じることはできるはずだ。

 私は車で走り回ることをやめようと思った。もっと身近な、たとえば近所の方との語らいや、市街地の散歩から始めてみようと思った。初対面で気に入ったこの街が、本当にマイタウンといえるようになるには、地理が頭に入っていればいいのではないことにようやく気づいた私だった。

copyright : Masaru Inagaki (『風車』35号掲載 1991.4.11執筆)

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