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イチオシ
丘の上のロッジ
井上 優

※これからお話しする内容は実話です。


 関西にある会員制リゾートホテルの紹介記事を書くように依頼され、取材に訪れた時のことだ。記憶が正しければ2002年の6月だったように思う。

 車での日帰り取材というハードなスケジュールだったため、往路は緊張して走っていた。約束の時間に遅れるわけにはいかないし、初めて行く場所であるため、どれくらいの時間で到着できるかが分からない。地図上での距離から概算で時間を計ることはできるが、途中の交通事情など全くつかめないため、ドキドキしながらの走行だった。

 運転するのは、取材の発注元である某社のO君。まだ若手だった彼の自前の車で行ったのだが、カーナビが付いていない。助手席の私は、地図と首っ引きだった。

 高速をとばし、下りたあとは私の訳の分からないナビぶりで、なんとか現地に到着。一通り取材を済ませ、遅い昼飯を食べてから帰路に車を乗せた。

 帰路は緊張もゆるみ、ゆっくり帰ろうねなどと話しながらの走行だったためか、私はある奇妙な体験を思い出した。それは、これから帰る道の途中にある施設で起こったことだ。1992年の出来事だった。

「O君って、奇妙な話が好きだったよね」

 国道に乗った車を走らせるO君に言うと、彼の目が輝いた。

「大好きですよ。幽霊とか宇宙人とか、とにかく不思議な話は大好きです。何か面白いネタがあるんですか?」

「いやあ、それほど面白くはないんだけどね。ネタというより実話なんだよ」

 私の言葉を聞いてO君の目がさらに輝く。

「実話ですか。すっげーなあ。ぜひ聞きたいです」

 彼のわくわく度が一気に上がる。私は苦笑しながら話し始めた。

「あれは、うちの長男が小学校一年に入った年の夏だったんだ」

「わあ、随分前ですねえ」

「そう、かれこれ十年くらい前になるかな。でね」

 私は、それまで少し倒し気味だったシートを起こし、ゆっくりと話しだした。

           *

 当時、うちの家族は毎年、とある遊園地へ遊びに行っていた。長男が幼稚園のころから始めたのだ。初めのうちは日帰りだったが、もっとゆっくりしたいということで、一泊することにした。でもお金がないから遊園地に付属のホテルなんかには泊まれない。長男と次男の四人だと、結構な金額になるからだ。だから安くていい場所がないかと探した。

 当時はまだインターネットが普及していなかったから、本屋へ行って旅関係の本を漁って調べた。そして、とある宿泊施設を見つけることができた。目的の遊園地へ一時間以内で行ける場所にある<○○ロッジ>という名前の施設。本に載っている写真を見ると、4階建ての鉄筋づくり。なかなかきれいで立派な施設なのでここに決めた。予約の電話を入れたのが8月の中ごろ。宿泊予定日は8月30日だった。この日は日曜日だったので、たぶん空きがあるだろうと思っていたが、案の定、泊まれるとのこと。ということで、この年の夏の旅行が決まったのだった。

 当日は、午後にロッジへチェックイン。翌日、朝一番で遊園地入りする予定だった。だからこの日は泊まるだけ。

 地図を頼りに行くと、ロッジは丘の上にあることが分かった。国道からそれて丘をのぼる道には「ようこそ○○ロッジへ」というウエルカムボード風のものがあった。そこをどんどんのぼっていくと、頂上にロッジがある。車二台が、ようやくすれ違うことのできるくらいの道で、なかなか雰囲気があったが、頂上へ着いたとき、私も女房もなんとなく違和感を持った。

 そのときは何も言わなかったが、最近また女房と当時のことを話すと、彼女は「そういえばあのロッジって、入る前から暗い雰囲気だったわよね」なんて言う。いやあ、ロッジの中であんなことがあったから、今考えるとそう思えるだけなんじゃないのかなと思うけど、確かに雰囲気が暗かった。女房なんか「本当にここ、営業しているの?と思ったくらいだもの」と言い出す始末。

 玄関から入り、さして広くもないロビーを過ぎてフロントへ。ちょうどアメリカ映画に出てくるモーテルのそれみたいな規模で、施設の大きさの割には狭く、照明の具合からか薄暗いフロントだった。そこにある呼び鈴を押すと、奥から五十がらみの男性が出てきた。ワイシャツに、暗い色目のベストを着ており、私が予約してある旨を伝えても、部屋のカギを渡すだけで、ろくにしゃべらない。なんだか陰気だなあと、少し気味が悪かった。

 とはいえ安いロッジだし、今晩泊まるだけだからと、自分を納得させた。明日の楽しい遊園地のことを無理に考えようとしていた。

 部屋へ入ると、また妙だった。当時は妙だと思わなかった、いや思わないようにしていたんだろうが、今思うと本当に変だ。和室で、十六畳くらいの広さがあった。親子四人には広すぎるが、まあそれはいいとしよう。床の間風の板の間になっている場所が部屋の片面にあって、テレビとか金庫とかが置いてあった。それらに並んでガラスケース入りの日本人形が置いてあったのだ。純和風の旅館ならまだしも、仮にもロッジなのに変だなあと思った。日本人形が三つも四つも置いてあるのだから、その空間だけ異様だった。

 夕食は食堂で食べた。夏の終わりの日曜日泊とはいえ、20人程度の泊まり客がいたと思う。早々に食事を切り上げ、大浴場に子供を二人連れていった。女房は一人で女風呂、男三人で男風呂だ。三歳の二男まで「父さんたちと一緒がいい」と言うので仕方なく。

 風呂から出て、部屋へ戻ったら、もうやることがない。子供たちが二人で走り回っていたから、われわれ夫婦はそれを見て微笑んでいたが、9時にもなると子供は寝てしまった。結局、女房と私も10時ごろには布団に入った。ここは旅館ではないから、布団は自分たちで敷く。

 車を運転してきた疲れもあってか、すぐに寝入ってしまった。ところが夜中に目が覚めたのである。

 いつもなら朝までぐっすりだが、この日は違った。なぜ目覚めたのだろうかと思ったが、理由はすぐに分かった。音が聞こえるのだ。

 ドン……。

 部屋の外から聞こえてきた。廊下の方からだ。

 「何の音だろう……」と気になったので、布団に横になったまま、目だけはしっかり開けて、意識を廊下に集中した。

 また聞こえた。

 ドン……。

 「まただ、何の音だ?」音が大きくなっている。

 なぜだか体を動かしにくい。奇妙な経験をしているためか、筋肉が硬直してしまったような感覚だった。

 ドン……。

 まただ。さらに大きくなっている。

 ドン……。

 四つ目の音が聞こえたとき、状況が分かった気がした。音が大きくなっているのは、音が近づいているからだ。音は、ちょうど人間がドアを強く叩くような音色だった。げんこつで力を込めてドアをドンと叩く音だと判断できた。ということは、廊下の先から誰かがドアを叩きながらこちらへ近づいてくるのだ。

 四つ目の音は、すぐ隣から聞こえてきたように思えた。だから「次はこの部屋だ」と確信した。

 思った通りだ。

 ドン……。

 私たちが泊まる部屋のドアが、力強く叩かれた。ノックなどというものとは次元が違う。一つのドアに一度だけ、それも力強く叩いているのだ。

 自分の部屋のドアが叩かれたとき、体を起こしていた。「次はここだ」と思ったからかもしれない。無意識のうちに体を起こしていた。

 見ると女房も起き上がっていた。彼女と目が合う。怯えた目をしていた。口が小さく動いている。「なんなの?」と無言で言っているように見えた。

 音は、次の部屋のドアを叩くと静かになった。私たちの部屋は、一階のロビーから二つ目だった。つまり隣の部屋が最後となったわけだ。

 音が消えたころ、私は布団の上にあぐらをかいて座っていた。女房も座り、こう言った。

「ねえ、今の何?」

「分からない。誰かが叩いていったんだろうけど」

 時計を見ると12時を過ぎていた。こんな夜中に一体誰がドアを叩くというのか……。

 恐怖心が私の中に広がっていたが、このままでは眠れそうにないので、立ち上がり、ドアを開けて廊下を見た。当然のように誰もいない。常夜灯が薄暗い光りを放っているだけ。さすがにドアを叩いたものを見つけに行く気にはなれず、部屋へ戻って布団に入った。女房も同じように布団で横になる。

 そのとき廊下で、けたたましい音が鳴り響いた。

 ジリジリジリジリジリジリ。

 火災報知器の音だ。

 驚いて飛び起きる。火災報知器と言えば火事を知らせる機器だ。これが鳴り響くということは、火事が起きた可能性が高い。となれば怖がってはいられない。飛び起きて廊下へ出た。

 その瞬間、音が止まった。その間、数秒のことだ。

 奇妙だった。なんで音が止まったのか。いや、短時間で音が止まったのだから、火災報知器の誤動作とも考えられる。それならいいのだが、万が一のことがある。心配だったので、ドアを開けたまま、廊下の左右を交互に見ていた。10分くらいそうしていただろうか。廊下は相変わらず薄暗いだけで、静まりかえっていた。

 ドアを閉めて、女房と話す。女房は「火事じゃいないよね」と心配そうだ。私は「すぐに鳴りやんだから誤動作だと思うよ。外は全く静かだし」と、彼女に言った。

 すると女房が言った。

「静かだったって……。誰も出てこなかったの?」

 この言葉を聞いて全身が粟立った。10分も見続けていたのに、だれも廊下に出てこなかった。火災報知器が全館に鳴り響いたのである。もし火事だったら、大変なことになる。あれだけの音を聞いて、私たち以外の宿泊者が誰一人として目覚めなかったなんてことは考えられない。ならば、なぜ誰も出てこなかったのだろう。そう考えると気味が悪かった。

 夕食後、この廊下を歩いて何人もが各部屋へ入っている。私たちと同じように歩いていった人を何人も見た。廊下沿いにある部屋には、いくつかの家族やグループがいるはずである。なのに誰も出てこない。こんなことってあるだろうか。

 あまりに奇妙だったため、私は一人でフロントへ向かった。火災報知器が鳴ったのである。誤動作なら誤動作と教えてくれれば納得できる。

 フロントは相変わらず狭くて、相変わらず暗かった。スタッフがいるであろう奥の部屋との間には仕切りや扉はなく、一間ほどの開口部がある。中は真っ黒だった。

「すみませ~ん」

 声を掛けたが、誰も出てこない。返事もない。

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか」

 何度も声を掛けた。それでも誰も出てこない。真っ暗な奥の部屋は、闇を保ち続けるばかりだった。

 スタッフは出てこない。スタッフ以外の宿泊客も、誰一人いない。なんだか怖くなって部屋へ戻った。

 女房に「フロント、誰もいなかった」と言うと。彼女は眉と眉の間に皺を寄せて「え?」と小さく言った。それっきり、私たちの会話はなくなってしまった。
 

 翌朝、四人で食堂へ向かう。廊下へ出ると、同じように食堂へ向かう人が何人もいた。やはりこの廊下沿いの部屋に宿泊客はいたのである。

 食堂で私と女房は耳を澄ませた。昨夜のことを誰かが話題にしていないだろうかと思ったからだ。長い時間、食堂にいたが、誰一人として昨夜の話をする者はいなかった。ドアを叩かれたことも、火災報知器が鳴り響いたことも、誰も話していない。

 食後、部屋へもどるとき、フロントの男性に昨夜のことを聞いてみようと思い、あの狭いフロントに近づいた。しかし男性はいなかった。きっと朝食の後片付けを手伝っているのだろうと考え、敢えて声を掛けることはしなかった。でも本当は、男性に聞いたときに「昨夜、何もなかった」と言われるのが怖かった。だってそうじゃないか。ドアを叩かれても、火災報知器のベルが鳴り響いても、このロッジ内の人は誰一人姿を現さなかったのだ。ということは、もしかしたら誰もあの二つの音を聞いていなかったということだってあり得る。となれば、私たちが泊まった部屋だけに起きた現象だったことになる。もしかしたら私たち家族は「そういう部屋」に泊まってしまったのかもしれないのだ。

           *

「という話なんだよ」

 長い時間をかけて私が話すのをじっと聞いていたO君が、大きく溜め息をつく。

「ふう……。なんだかすごい話ですね」

「まあ、特に怖い話じゃないんだけどね。ドアの音だって、もしかしたら悪ガキのいたずらかもしれないし」

「だって夜中の12時でしょ。ちょっと考えにくいですよ、それは」

「うーん、確かにそうかもね。でも火災報知器の方は単なる誤動作だと思うよ」

「だとしても、どうして誰も出てこないんですか。それ、絶対変ですよ」

 運転しながらO君は、しきりに「妙だ」を連発している。

 私が話を終えたころだったか、あるいはもっと後だったかもしれないが、車がそのロッジのある丘の下を通った。帰りは、店を探して遅い昼食をとったため、高速を使わずに国道を走っていた。途中から高速に乗ればいいよね、くらいの気分だったからだ。

「ほら、ここだよ、この道を上がっていくと丘の上にロッジがあるんだ」

「へえ、ここなんですか」

 O君は運転している関係もあり、ちらちらとではあるが、ロッジへあがっていく道を見ていた。

 私が体の向きを前方へ戻し、また話し出した。

「しかしあれだね。さっきの道、封鎖されていたね。お化け騒ぎが大きくなって、つぶれちゃったんだろうかねえ、あのロッジ」

「封鎖?」

「あれ、O君は見なかったの? 今走っている国道からあがっていくところにウエルカムボードがあったよね。その下に、鉄の柵みたいなのがあったじゃないか。柵の周りには草がいっぱい生えててさあ。つぶれて随分たつんだろうね、あの様子じゃあ」

「あの、柵……ですか? 草が生えてた?」

「いやだなあO君。見なかったの? ちらちらだけど見てたでしょ」

「ええ、いや、その……。運転してたから見落としちゃったかなあ……」

 首をかしげながら答えるO君。もしかしたら見落としたのかもしれないが、O君の目はそれを否定していた。その目は、あの日、ロッジの部屋で見た女房と同じ怯えた目をしていたのだ。
 

 つい最近のことだが、なぜだか急に気になってそのロッジについて調べてみた。グーグルで検索すると、簡単にヒット。当のロッジの公式サイトから、そこに泊まったことのある人のサイトページなど多くがヒットした。その一つに、2ちゃんねるの書き込みがあった。そこを見ると……。

「○○ロッジって、出るんですよね」

とあった。

「2ちゃんだしなあ。これ、マジなのか、釣りなのか」と独り言が口を突いたが、私と女房以外に、あのロッジで奇妙な体験をした人がいる可能性は否定できないような気がして、改めて背中が粟立ったのであった。

 


※以上の内容は、2009年秋に実施された「第1回『幽』怪談実話コンテスト(『幽』『ダ・ヴィンチ』共催)」の最終選考作品(15作品)に残していただいたものです。ただし5部門あるどの賞も受けることができませんでした。

※ちなみにこれとほぼ同じ内容(文章は全く違います)を以前、当サイトに掲載していましたが、上記コンテスト応募にかかわり、サイトから削除しておりました。コンテストの審査が終わり、賞に該当しませんでしたし、書籍にも掲載されないことが決まりましたので、このページに掲載します。

※応募時の内容は、ロッジ付近に土地勘のある方なら場所が特定できてしまう恐れがありましたので、一部(地名にかかわる部分など)を修正しています。なお、上記作者名はこのサイト管理者のペンネームです。


copyright : Masaru Inagaki(2009.9)

読みもののページ

ショートストーリーを中心に、しょーもないコラム、Mac系コンピューター関連の思いつきつぶやきなど、さまざまな「読み物」を掲載しています。
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