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エアロデッキ引退
 

 車というものは、どこかコンピュータと似ていて、長く使えば使うほど情が移るものです。うちには古いマックがごろごろしていますが、どれもこれも、捨てるにはしのびなく、飾ってあります。でも車は、さすがに「飾っておく」わけにはいかないですよね。そんな場所、ないですから。

 実は、うちの愛車が今月で引退することになったのです。このまま廃車にするのは辛く、本当なら家に置いておきたいのですが、諸事情からそれもできず、結局は手放すことになりました。

 1989年製です。平成元年3月製のこの車は、ホンダのアコード・エアロデッキといいます。1989年の3月で生産が中止され(4年ほどしか作られていなかったようです)、うちのはその最終期版です。新車で買ったのが3月でした。(2年前に撮影した、うちのエアロデッキ

AeroDeck.jpg

HONDA ACCORD AERO DECK

2005年6月でとうとう引退(1989年3月からずっとうちにいた)
2003年3月撮影

 ホンダの車は、やれ電気系統が弱いだの、ボディが早く悪くなるだのと、エンジンの評判とは裏腹に、長く乗るにはあまりよくないと言われ続けてきました。最近ではそれほど悪くはないのでしょうが、私が初めて買った車(初代アコード)も、すぐにテールランプが切れ、自分でよく付け替えましたし、手放すころには、フェンダーのあたりに穴があいていました(^_^;。

 エアロデッキは、当時、不人気車種でした。兄弟車である4ドアのアコードや、アメリカ逆輸入のアコード・クーペは、なかなかの人気で、特にアメリカでよく売れたと聞いています。しかし3ドア・ハッチバックのエアロデッキは、なぜだか、本当に本当に売れませんでした。私は好きだったんですけどね。

 そのおかげで、今見ても、古さを感じません。以前からあまり街を走っていなかったのだから、今さら古く感じるってことはないわけです。そのあたりも、気に入っていた理由の一つでした。

 フォルムも好きでした。トップからテールにかけて、微妙に落ちていくルーフ。これがまっすぐだと、当時なら「あれ? バン?」みたいに言われちゃうのですが、このラインのおかげで先進性がありました。また大人が五人乗ってもゆったりとしていたし、荷物もそこそこ積めました。ハッチバック車なので小ぶりに見えるのですが、当時のマークII並の車幅があり、乗ってみると意外に広い車内に驚いたりするのでした。

 エアロデッキがうちにきた1989年は、二男が生まれた年でもありました。彼は4月に誕生していますので、エアロデッキの方が1カ月お兄さん。つまりは「同い年」なわけです。そんな理由からか、二男はよく「僕が免許を取るまで、エアロデッキを売らないでよ」と言っていました。私もそのつもりで、20年を目標に乗り続けるつもりでした。

 しかし今月(2005年6月)に入って、急に調子が悪くなったのです。アクセルを踏んでも、大きく息を継ぎながらボーボーと音を出して走り、すぐに止まってしまいます。交差点で信号待ちをしているときも急に止まり、なかなかエンジンがかかりません。これはまずと思い、いつもお願いしているショップに持ち込んだところ、キャブレターとエンジン内のある部品がダメになっているとのこと。キャブレターは交換がきくのですが、エンジン内のある部品は、もう交換部品がないとのことでした。エアロデッキ純正がなくても、ほかの車で使っている似たようなパーツが代用できないかと、いろいろ試してくださったのですが、それも徒労に終わりました。

 あとは、同じ車を探して部品取りするといった方法も考えられますが、さすがにそれも難しくなっているようです。

「いい機会かもしれない」と私は思いました。手放すのは、本当にしのびないのですが、でもこのまま不安を抱えながら乗るのも心配です。この車に主に乗っていたのは女房ですので、それも心配要因の一つとなりました。

 ということで、エアロデッキ、バイバイです。16年乗ってきただけに、なんだか寂しいですが、仕方がないです。せめてこのサイトに写真を載せ、思い出だけは残したいと思っています。

copyright : Masaru Inagaki(20050611)

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