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ミニストーリー
マイタウン安城 (15)
食べてくれる人のために
稲垣 優

 人の輪を広げる趣味として料理を決意した私は、手始めに本屋へ行った。

 パラパラと料理本を見る。うまそうな料理を見付け、作り方を見た。そこで私は、ぼう然となった。「裏ごし」とか「煮出す」など、知らない言葉がいっぱいあったのだ。これはダメだ。結局私は、あきらめることにした。料理の「専門用語」を一から勉強する気にはなれなかった。

 帰宅して、妻に無条件降伏をしようとする。今日の夕飯は、やはり妻に作ってもらうしかない。ところがそんな私の思いを察知したのか、妻がこんなことを言った。

「初めは、おナベにしたら。手軽だし、おいしいし」

 妻の顔が聖母マリヤのように光っている。私は見栄も何も捨てて、素直に言った。

「教えてくれるかい」

 妻に教わりながら鶏の水炊きを作った。土ナベに水を入れ、コンブと鶏肉を入れて煮る。あとはアクとかいうものを取って野菜を適当に入れるだけ。簡単だ。

 家族四人で、フーフー言いながらナベをつついた。息子は「父さんでも料理ができるの」と失礼なことを言い、娘は「また作ってね」とかわいいことを言う。こんなものならいつでも作ってやると口にしかけたが、声には出さなかった。子供たちと妻が、おいしい、おいしいと食べているのを見ていたら、胸がジーンとなったからだ。

 料理には技術や良い材料が必要かもしれない。でも本当に大切なのは、食べてくれる人が喜んでくれることだと、そのとき気づいた。そして私は、本格的に料理に取り組もうと決意を新たにした。喜んで食べてくれる人のために料理をするということは、人の輪を広げる第一歩になると思ったからだ。

copyright : Masaru Inagaki (『風車』43号掲載 1991.12.12執筆)

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