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Mac &
Powerのあるコンピュータとは
稲垣 優

 PowerPCとは、パワーのあるコンピュータのことではない。そんなことは多くの人が知っているだろうが、Appleが数年前に発表したPowerPCは、どうしても「パワーのあるパソコン」をイメージさせた。Apple側も、そのことは十分承知しているだろうし、PowerPCの開発元であるIBM(等)もそのことは十分理解しているだろう。あえてそんな名前をCPUに与えたのは「ここらで一発、Intelの鼻を明かしてやろう」という思いがあったからだと考えても、まんざら間違っていないような気がする。

 いや、今回はCPUとしてのPowerPCを話題にしたいわけじゃあない。CPUを語るには、私の知識は不足しすぎている。言いたいのは「PowerPCが標準になっちゃった」ということだ。

 モトローラ社が作っていた680x0系のCPU(MPUと言った方がいいかも)は、マックの心臓だった。68系(あるいは68k)とともに、Plus、SE、IIシリーズと、マックは進化していった。日本にDTP革命が起きたころ、68030を持つIIシリーズはその立て役者だったと言ってもいい。IIfxやIIciが、デザイン事務所や印刷会社にごろごろしていた。

 そして68040の登場とQuickTimeの進化から、Audio & Visual系もマックの十八番になっていった。IIciを持っていた人は、こぞってQuadra700へのハードウエア・バージョンアップを行った。私は出遅れたたためバージョンアップを逃したが、Quadra700のパワーは人々を驚愕させた。その後、同800、950などの名機の誕生を見、68系MPUの最盛期を飾ったのだった。

 そして次のジェネレーション。Appleは、かつての「宿敵」IBMとの「仲直り」からPowerPCを載せたPower Macintoshを誕生させた。2000年の現在でも、G4と呼ばれてはいるものの、PowerPCは健在だ。そしてすべてのマックがPowerPCを持つようになり、当然のことのようにソフトウエアもPowerPC対応が「標準」となっていった。

 昨年(1999年)の初秋のことだ。ある場所で話をするとき、PowerBookとプロジェクターを使って映像を出すことにした。映像といってもプレゼン風のもので、ファイルはDirectorを使って作成した。私はDirectorを3.0のころから使っているが、エキスパートとはとうてい言えないユーザーである。それでもちょっとしたプレゼンなら、やっぱりDirectorで行うことが多い。ごくごく簡単なLingo(Directorに内在しているスクリプト)なら使えるので、まがりなりにもインタラクティブなデータを作ることはできる。

 で、その年、Directorを6.5から7.0にバージョンアップしていた。バージョンアップ後、最初に作ったのは、あるホームページ用のshockwaveファイルだった。結局こいつは没になったが…。その後に、くだんのプレゼン風ファイルを作った。今度はホームページ用ではないから、PowerBookで再生できるようにプロジェクタファイル(Directorで作ったファイルをスタンドアローンで起動する実行ファイルにしたもの)にした。これでOKだと思った。

 作業は、G3 266MTで行った。作成したプロジェクタファイルは、EthernetでPowerBookに送った。これで準備完了のはずだった…。

 ところがどうだ。わが愛機PowerBook 550c(68040)に転送したそのファイルが起動しないのである。それどころか「それは破損しているか、またはこの機種のコンピュータで使用できません。したがって、アプリケーション“×××××”は開くことができませんでした」ときた。同じプロジェクタファイルをG3 266MTでダブルクリックすると、ちゃんと起動する。ということは「それは破損している」ことはないはずだ。つまり「この機種のコンピュータでは使用できません」ということなのだ。

 愕然とした。PowerBookで起動しなければ、話をする場所にファイルを持っていく意味がない。G3ミニタワーを担いでいくわけにはいかないし。どうしようかと焦ったが、解決策はあった。簡単なことだ。一つ古いバージョンのDirectorで作り直せばいいのだ。私はG3 266MTのハードディスクに眠っていたDirector 6.5を起動し、ファイルを作り直し、プロジェクタファイルへ変換した。それをPowerBook 550cへ送る。

 起動した。プロジェクタファイルは、何事もなかったかのように、すんなり起動した。そういうことだったのだ。

 Director 6.5までは、プロジェクタファイルを作るとき、オプション設定の中にプルダウンメニューがあった。そこには「すべてのMacintoshモデル」「標準Macintosh」「Power Mac ネイティブ」という三つの選択肢があった。つまり「Fat Binary」「68系用」「PPC Native」だ。しかしDirector 7.0では、それらがなくなっていたのである。マニュアルを読まずに、これまでの「慣れ」で7.0を使っているから「7.0でも、実は68系マック用のプロジェクタを作る方法がある」のかもしれない。しかしプルダウンメニューからそうした選択肢がなくなった(というよりプルダウンメニュー自体がなくなった)ことに、私はショックを受けた。

 つまりこういうことだ。

「もう68系のマックは相手にしていません」(もし68系用のプロジェクタ作成方法があるのなら、この発言はDirectorの開発元であるMacromedia社に対して大変失礼なものとなってしまうが…)

 仕事で使うマックなら、常に新しいものにしていく方がいいと思う。しかしサブで使うマシンや、いわんや趣味の領域となると、常に最新のマシンにバージョンアップできるとは言い難い。68系は確かに処理能力が低いが、使い方によっては、今でも現役で十分使える。現に私は、2000年を迎えた今でも、PowerBook 550cにMac OS 8.1を入れて使っている。

 もしMacromedia社が「68系マックを切り捨てた」としても、もちろん非難するつもりはない。これは社会の流れだ。68系マックを持っている人も、多くはPowePC6xx搭載マックやG3、G4などを所有しており、68系だけを使っている人は少ないだろう。それに作業の効率や、新しいマシンが与える新しい感動(体験)を考えると、できるだけ新しいマシンを使うことが望ましい。仕事を含めた多くの作業をより素晴らしいものにする可能性を持っているからだ。

 ただ私としては「それは正しい」とした上で「でも68系だって使いたい」のだ。68系マックをメインで使うことはない。今のメイン機はG3だし、今後は、収入と相談しながらG4等へとバージョンアップしていくことになるはずだ。しかしだからといって68系マックを使わなくなるとはいえない。まあ、いつかは使わなくなる日がくるだろうが、それが今年や来年ではないと思うのだ。

 これはもしかしたら、ノスタルジーなのかもしれない。自分と共に生きてきた古き良きマックは、自分の手と思考になじんでいる。確かに処理スピードは遅いが、10分も使っていれば、遅さに慣れてくる。MPUパワーがなくてもできる作業なら、与えることができる。そうして「まだ一緒に生きていける」と思いたいだけかもしれない。

 もし今、私の手元にPowerBook G3があったら、もうPowerBook 550cを持ってプレゼンをしたり講話をしたりしなくなるかもしれない。でもたぶん、私はPowerBook 550cを手放すことはないだろう。そう思う私をノスタルジーの塊と呼ぶなら、まあ仕方がない。私は喜んでその名を受けよう。

 ただもし、少しだけ反論を許されるなら、塊にも五分の魂があることを知ってほしいと思うのだ。私が古いマックを使い続けたいと思うのは、彼らが「使える」からだ。作業性から何から、すべてにおいて「過去の遺物」となったものを無理やり使おうとするのなら、それは確かにノスタルジーのなせる業だといえるだろう。しかしPowerBook 550cは、そしてSE/30さえも、これら68系のマックは今でも「使える」のだ。それはちょうど、20年以上乗り続けている愛車が「使える」のに似ている。長い間、使っていると、当然のことながら情が移る。なかなか捨てられなくなる。しかしそれをなぜ捨てないのかといえば、情が移っているからだけの理由によるのではなく、やっぱりそれが「使える」からだと思う。

 パワーは、力だ。強大な力は、われわれに合理性や「楽(らく)」を与えてくれる。ある種の満足感(一歩先んずることへの)さえも与えてくれるだろう。同時にパワーは能力でもある。求めることを成す力(能力)を持つ機械を、私たちやっぱり愛し続ける。

 時代はまさにPowerPC全盛だ。ソフトウエアでさえ、68系非対応のものがどんどん出ている。いや、今ではその方が多いだろう。しかし人が求める能力(Power )を満足してくれるコンピュータなら、やっぱり「使える」わけだし「使いたい」のだ。もちろんノスタルジーと、移った情も含めての意見ではあるが。だから私にとっての68系マックは、G3やG4と同じように、今でも使えるPowerPC(Personal Computer)なのである。

copyright : Masaru Inagaki(2000.1.7)

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