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グダグダ
語尾上げ言葉はキライですか?
稲垣 優

「電話する?」「これ、食べる?」「デパートへ行く?」

 質問しているのではない。それぞれの語尾を上げて読んでもらいたい。便宜上「?」を付けたが、これは疑問文ではないのだ。ただ(あたかも疑問文のよう)語尾を上げて発音するというだけである。

 最近「語尾上げ」が静かなブーム(笑)だ。とはいえ「静かなブーム」故に「語尾上げって何?」と思われる方もいるかも。てことで、ちょっとご説明しよう。

「子供ってテレビゲームばかりやってるでしょ。ほかにやることないのかって思うんだけどね。うちの子が夢中になっているポケモン金・銀? クラッシュバンデクーレーシング? 私なんか何がなんだか全然分かんない? 毎日テレビの画面ばっかり見てさあ。これって健康によくない?」

 改めて文章にしてみると、なんか妙だ(笑)。こんな文章、全く意味が分からない。これを普通の口語文に「翻訳」するとこうなる。

「子供ってテレビゲームばかりやってるでしょ。ほかにやることないのかって思うんだけどね。うちの子が夢中になっているゲームにポケモン金・銀があるの。それとクラッシュバンデクーレーシングというのもあるわ。私なんか何がなんだか全然分かんないわけよね。毎日テレビの画面ばっかり見てさあ。これって健康によくないと思うのね」

 これならどうだろう。少しは理解できる文章になったと思うのだが。

 語尾上げ言葉の方(上の方)で「夢中になってるポケモン金・銀?」というのは「うちの子はこのゲームに夢中になってる」と言いたいんだけど、単に「夢中になっています」と言いたいだけではなく「夢中になっているわけだけど、どういうもんかねえ。ところでこのゲーム、あなた知ってる?(または、お宅でも同じなの?)」って言いたいのかもしれない。文章最後の「これって健康によくない?」では「これって健康によくないと思うんだけど、あなたもそう思わない?」と問いかけているように受け取れるわけである。

 語尾上げ言葉とは、文章を短くして(後半を省略して)あたかも疑問文のような形態を持たせ、会話をする相手に同意を求める形と言えば分かりやすいかもしれない。とはいえこれは、いわゆる若者言葉ではない。主婦を中心に広がっているようなのだ。

        *

 『カタログハウス』という雑誌(冊子)がある。通信販売のグッズを一堂に集めた雑誌で、優れものが掲載されていることが多いためか、結構ファンがいる。また単なるカタログ集というよりも、記事としてグッズを紹介したり、それらを使っている有名人のインタビューを掲載したりしているので、カタログというより雑誌なのである。またこの雑誌は、毎回なんらかの特集を組んでおり、それがなかなか面白いのだ。

 確か昨年(1999年)後半の号だったと思う。特集に「語尾上げ言葉」が取り上げられていた。数人の著名人によって座談会が開かれ、話の傾向は「語尾上げ言葉反対!」だったように記憶している。そうこうしているうちに、つい最近(1999末か2000年頭ごろ)、テレビCMで「語尾上げ撲滅運動」なるものが出た。これは『カタログハウス』のCMで、上記の語尾上げ言葉を面白おかしく見せながら、これの撲滅を!と訴える形になっていた。なかなか楽しいCMだったのだが、ゲラゲラ笑いながら、ふと気付いたことがあった。そういえば自分の周りにも、結構、語尾上げ言葉が氾濫しているのだ。

 例えば妻との会話などでも…。

「今日さあ、仕事で○○って会社へ行ったんだけど、そこの社長が面白くてさあ。こっちが何かを言うたびにギャクを飛ばす?」

 おっと、ここで語尾上げだ。実際の会話はこんな風になる。

「……言うたびにギャクを飛ばす?」

「うん」

「っていうか、下手な駄洒落を口にする?」

「うん」

「っていうか、そういう感じでさあ」

「へ~」

 ここで「うん」「へ~}と言っているのは、聞き役である妻だ。妻が話し手であるときは、私の方が「うん」「へ~」と言うわけで、まあどっちもどっちということになる。

 この対話を見ると分かるように、語尾上げ言葉の後には、必ず相手の相づちが入る。いや、相づちを期待するかのように、語尾上げして言葉を止めるのである。みなさんもそんな経験はないだろうか? きっと一度くらいはあるよね(笑)。

 相づちは、会話になくてはならないものである。話し手にとっては、相づちがあることで「ああ、こいつはちゃんと聞いててくれる」と安心するわけだし、聞き手にとっては「ちゃんと返事(相づちを打つ)をしてあげないと、こっちが聞いてるかどうかが伝わらない。相づちを打たないと、相手に対して失礼だ」と思うわけである。

 だが語尾上げ言葉は、ともすると相づちを相手に「強要」しているようにも見える。「こっちが言ってることが分かるか? 分かるんならちゃんと返事をしてよね」というわけだ。同時に話し手側の弱さも感じることができる。言葉を最後まで言わず、途中で止めて語尾上げすることで、相手の反応を見ているわけだ。

 そういえば、今、思いだしたが、2、3年ほど前、10歳ほど年下の知り合い(女性)が、当時としては先進だったのだろう(笑)、語尾上げ言葉を使っていた。当時はほかであまり聞かなかったためか、その話っぷりに違和感を覚えたものだ。「なんでいちいち言葉を止めて、まるで質問するかのように語尾を上げるんだ? そんなに返事をしてもらいたいのか?」と思ったように記憶している。

 前述の『カタログハウス』特集座談会で、語尾上げ言葉は、一部のインテリ層の主婦が使いだしたという説があったように記憶する。また海外生活経験のある主婦から広まったという説もあったような…。アメリカなどでの会話の中に、言葉を途中で止めて語尾上げにすることがあるというものがその根拠だったように思う。私は海外生活の経験がないので、そのあたりはまるで分からないが、インテリ層が使いだしたといわれると、なんとなく納得してしまうのである。

 この場合、インテリという存在を小バカにすることになるのかもしれないが、要は、会話の中で、相手に同意を求めるために語尾上げをするわけで「私の言ってることが分かる?」であり「あなたはこういうことを知ってる?(私は知ってるけど)」という意図が含まれていると思うわけだ。なんとなく分かる気がしませんか?(笑)まあ言ってみれば「似非(えせ)インテリ」なわけで、自分を上に見せようという意図を感じるわけだ。

 もちろん、語尾上げ言葉を使っている人がみんな「似非インテリ」なわけではないし、そういう(自分を上にしようとする)気持ちを含みながら語尾上げ言葉を使っている人は、いるとしても少ないように思う。それよりも、言葉を短くして語尾上げすることで相手に同意を求める、いやもっと言えば、そうすることで相手と自分が会話だけでなく思いまで共通になりたいと願っているのではないかと思うわけである。

 語尾上げ言葉を「相手を小バカにする似非インテリのツール」とすれば分かりやすいかもしれないが、個人的にはそれは、現象を言い当てていない気がする。やっぱり会話相手と自分が共通の世界(次元)で分かり合っていると思いたいという願いが、実は語尾上げ言葉の裏に隠されているのではないだろうか。

 となれば、それは寂しさからの逃避とも言える。「個の時代」と言われ、個人の思いや行動が尊重されるときを迎えているが、人は「個」を主張し、「他人と自分は違う」と言いたい半面、自分が孤立することを最も恐れている。自分と同じ思い、同じ発想、同じ願いを持っている人が、自分の周りにたくさんいてほしいわけである。それを対話の中で「確認する作業」が、もしかしたら語尾上げ言葉なのかもしれない。

 「語尾上げ撲滅」を願っている方々もいるだろう。以前の私のように「いちいち人に同意を求めるなよな。言いたいことがあるなら、自分の言葉で完結させろよな」と思っているのかもしれない。それはそれで正しいように思う。しかし語尾上げは、個を尊重するあまり、自分の立場を見失いそうになって恐れ、周囲との強固な連結を求めようとする悲しい叫びと見ることもできないことはない。

 私は(自分でも知らず知らずに使っているわけだし)そんな思いから、なんとなく語尾上げ撲滅を唱える気にならない。語尾上げ言葉で一生懸命話す相手に「ああ、しっかり聞いてあげなくっちゃ」と思ってしまう。これって、やっぱりおかしいんだろうか? よく分からないままに、やっぱり今日も、語尾上げ言葉の中にいる。

copyright : Masaru Inagaki(2000.1.28)

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