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グダグダ
間違い電話は嫌だけど……
稲垣 優

 少し前になるが、私の携帯に間違い電話がかかってきた。何日かの間をおいて三件かかった。そのうち二件は同一人物。三件とも間違いなく間違い電話(変なの)なんだが、この二件ともう一件は全く異質なものだったと記憶している。

 一つは、女性からだった。夜11時ごろだっただろうか、突然、携帯が鳴った。私の携帯は、本当に鳴らない携帯(笑)で、かけることも少ない。ま、事務所にいる時間が長いので、大方の知り合いは事務所の電話へかけてくれるわけで、そいつでつながらないとき、なおかつ緊急のときに携帯にかけてくる。つまり、そういう状況が少ないため、あまり鳴らないというわけだ。

 この日のベルには驚いた。夜、事務所の電話が鳴るのは日常茶飯事で、あまり気にしていない。「マックの調子がおかしいよ~」という電話だったり、打ち合わせのアポの電話だったり、無駄話の電話だったりするんだけど、さすがに夜、携帯が鳴るのは珍しい。タダでさえあんまり鳴らない携帯なんだから。

 で、通話ボタンを押すと、かけてきたのは聞き覚えのない声の女性だった。

 私の「もしもし」を聞いて、ちょっと狼狽した声になる。

「○○さんじゃないですか?」と女性。

「違いますよ」と私。

 普通ならこれで終わる。相手が、ゴメンねと言っておしまいだ。しかしこの女性はしつこい。

「えっ? 違うんですか? ○○さんじゃないんですね」

「違いますったら。私は稲垣です」

 これで相手は電話を切った。しかし数日後、今度は深夜12時過ぎに携帯が鳴った。またその女性だ。

「○○さんですか?」

「違いますよ。稲垣です」

 女性の声が途切れる。また同じ間違いをしてしまったと思ったのだろう。空白の時間の中で私は、すぐに相手が私との会話を終わらせると思っていた。しかし違った。女は本当にしつこかった。

「その携帯は、○○さんの携帯じゃないんですか?」

「えー? これは私の携帯です(キッパリ)」

「そうですかあー」

 そして彼女は電話を切ったのであった。最後の声には「そんなはずはない。○○さんにかけているんだから、あんた(つまり私ね)のほうが間違ってるんじゃないの?」というニオイがぷんぷんしていた。

 冗談じゃない。この携帯は私が買い、私が基本料金と通話料金とその他を毎月払っているんだ。一体なんだというんだ。

 気分が悪かったけど、少しすると怒りは治まり、やがて気になってきた。もしかしたら彼女は、男にだまされたのではないか?

 夜、携帯にかけるということは、仕事の電話である可能性は低い。プライベートな電話と考えていいだろう。で、仲良くなった男に携帯の番号を教えてもらった。しかしそれは、全くでたらめな番号だった。それが私の番号だったというわけだ。もちろん真実はどうなのか、全く分からない。でも女性の執拗な突っ込みを思い出すと、どうしてもその人に電話をかけたい、その人とのつながりが切れてしまったらどうしようという焦りにも似た感情を彼女が持っていたと思えて仕方がない。

 不作法な電話だったが、後になると、なんとなく気になってしまった。彼女はどうしているのだろうか。ちゃんと目的の人物に電話できたのだろうか。それとも新しい出会いがあっただろうか……。

 もう一つは男性からだった。これも夜だったと思う。携帯が鳴った。

 男は言った。

「原田さんですか?」

 私がそれに答える。

「違いますよ」

 すると男はあっさりと「そうですか」と言って電話を切ってしまった。これだけだ。

 なんのことはない、タダの間違い電話だが、私は妙に引っかかった。本当に間違えたのか?という気がしてきた。

 電話の向こうは、ざわついていた。それは、会社の中でたくさんの人が電話をしているようにも聞こえたし、音楽が流れない飲食店で、客がざわざわしているようにも聞こえた。とにかく、ごくごく一般的なシチュエーションなのだ。だけど、私は気になった。それは、男があまりにもあっさりし過ぎていたからだ。

 上に書いた女性のように、しつこく相手に突っ込む人は少ないかもしれない。しかし間違い電話をしたときは、この男性のようではなく、もう少し動揺するのではないだろうか。自分は間違っていないと確信して電話をしているのに、聞いたこともない相手に電話がつながる。それも携帯だから、一般の電話よりパーソナル感が強いわけで、目的の人物以外が出ること自体、あり得ないはずだ。だから間違い電話をしてしまったときの焦りは大きいのではないだろうか。なのにその男は、あまりにもあっさりしていた。

 また「原田さんですか?」という言い方も気に入らない。携帯に出るとき、多くの人は自分の名前を言わない。それは自分にかかってきたに決まっているからだ。だから、携帯での会話は、こんな風になることが多い。

 初めに携帯の持ち主が声を出す。

「もしもし」

「ああ、おれ。今、話しててもいい?」

「ああ、いいよ」

「実はさあ……」

 こんな風に始まることが多い。かけた人が友人ではないときは……。

「もしもし」

「もしもし、もしもし。稲垣さんですか?」

「はあ、そうですが」

「私、A社の山田ですが」

「ああ、どうもどうも。ご無沙汰してます」

 こんな風になる。

 これが間違い電話だと……。

「もしもし」

「もしもし? あれ? 原田さんじゃないです?」

「違いますよ」

「ああ済みません。間違えました」

 こんな感じか。または……。

「もしもし」

「原田さんですか?」

「違いますよ」

「えっ? ×××-×××-××32じゃないですか?」

「ああ、最後が『32』じゃなくて『23』んですよ、こちらは」

 こんな感じだと思う。

 携帯に限らず電話をかけてくる人は、自分が番号を間違えてプッシュしたとは思っていない。だから、もし間違い電話をしてしまえば、少なからず焦るはずだ。「どうしよう、どうしよう」と狼狽することはなくても、こっちの声や名前を確認したときに「えっ?」という小さな焦りというか、なんで間違えちゃったんだろうという後悔というか、そういう雰囲気がかすかでも声に出るはずなのだ。それが、この男性からの間違い電話にはなかった。あまりにそっけなく、言ってみれば間違えたことが分かっていたかのような返答だったのである。

 電話を切ってから考えてみた。どうしてあんなにあっさりしていたのか。私が真っ先に思いついたのは、電話による何かの調査である。電話の向こうがざわついていたのは、そういう調査をたくさんの人数でやっていたからではないかと思った。どんな調査かといえば、それは分からない。でもたとえば、携帯電話が鳴ったとき、人はなんと言って電話に出るかとか……。普通の電話なら名前を言うけど、携帯は言わない。その辺りの社会学的な調査かもしれない。あるいは、携帯会社が信号のチェックなんかで、かけてるのかもしれない。

 しかしこの考え方は、どうもあまり現実的ではない。その次に考えたのが、無作為電話だ。女子高校生の中には、ピッチ(PHS)の番号を無作為に押して、出てきた人との会話を楽しむという妙なことをするヤツもいるらしい。私のところへかけてきたのは男性だが、若そうな声だった。だったらハイティーンの男性が無作為に携帯へ電話して、ナンパしようと思っていたのかもしれない。それなら相手がそっけなかったのはよく分かる。だって、初めに私が言う「もしもし」で、かかった先が女性でないことはすぐに分かるのだから。だから彼は「原田さんですか?」といいかげんなことを言い、すぐに電話を切ろうとしたわけだ。これは、異常なまでのそっけなさに対して、かなり説得力がある説のような気もする。

 まあ、結局はどうでもいいことなんだが、どうも携帯にかかってくる間違い電話には、妙に興味を持ってしまう。それは携帯が個人の持ち物であり、個人にダイレクトにアクセスできるツールだからだろう。私の携帯にかける人は、仕事相手か、女房か、そうでなければマックが動かなくなるという緊急事態に陥った知り合いか……まあ、それくらいのはずなのに……と思ってしまうわけだ。でも純粋な間違い電話ってのはあるわけだから、あんまり気を回す必要もないんだけど。でもでも、携帯って、ほとんどの人がメモリに知り合いの番号を入れてるでしょ。だから間違い電話は少ないはずなんて思ったりもする。でもでもでも、全部がメモリに入っているわけじゃあないから、やっぱり間違いってあるんだろうなあとも思う。

 何はともあれ、間違い電話は気分のいいものではない。それでも、電話のベルが全く鳴らないよりはいいかもしれない。

「誰かから電話がかからないかな~」

 若いころ、暇を持て余していたとき、電話の前で、よくこんなことを思ったものだ。自分から電話すればいいのだが、どうもそういう気にはならない。だけど暇だからつまらない。当時は、お陰様で、結構電話がかかってきた。今は、毎朝のメールチェックが楽しみになっている。「到着メールはありません」というEudoraの冷たいメッセージは、やっぱりあまり見たくない。

copyright : Masaru Inagaki(1998.4.4)

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